【Kissの会 ゲスト投稿no.40】      「備中二城廻り独り旅」

2019-05-18  (7期) 高橋 豊房さん

 

4月の下旬に備中(びっちゅう)の城を二つ廻ってきた。相方が友達と一泊二日の旅に出るという。それでは私もと旅の計画をした。さて行く先はどこにしようと考えた末に「備中松山城」と「備中高松城」を見に行こうと思いついた。

 

1.日本一高いところの現存天守「備中松山城」

現存天守とは江戸時代またはそれ以前に建てられた天守閣が現在まで保存されている天守(現在12カ所)のことで、「備中松山城」(以下松山城)はその中で一番高いところに建っている。松山城は岡山県の高梁市にある。小田原を6時過ぎに発ち10時過ぎに備中高梁駅に降り立った。駅から出ると目に入るのは蔦屋書店高梁市図書館である。ここにはスターバックスが併設されている。地方都市にしてはお洒落ではないか(これは失礼)。松山城登城前にまずは街を散策した。小堀遠州が作庭した頼久寺や武家屋敷を訪ねる。平日のためか観光客は少なくしっとりと落ち着いている。

 

城下町散策が一通り終わった後、いよいよ登城である。松山城は標高430mの小高い山の上に建っている(写真下左)。そこまで麓の城下から歩いていくと途中で行倒れになってしまうかもしれないので駅から乗り合いタクシーで最も近い駐車場まで送迎してもらうことにした。さて、駐車場についてもそこからまた700mほど急な坂道を登って行かないとたどり着かない。当時の武士もさぞかしたいへんだっただろうなあなどと考えていたら、普段は麓の尾根小屋御殿を根城としていたとうことだ。なるほど納得である。

 

歩くこと20分、堅固な石垣、小ぶりな櫓などが順々に見えてきた。このあたりはNHK大河ドラマ「真田丸」のオープニング映像に使われた場所である。おお!ここだ、ここだ!と感動しているうちに猫城主「さんじゅーろー」(写真上)の出迎えを受けようやく登城。天守閣は2層2階で実にコンパクト。我が小田原城の威風堂々とした姿には及ばないなどと威張っても、こちらは1683年(天和3)からこの地に建っている歴とした木造天守である。ここは尊敬の念を払っておこう。さて次はどの現存天守に行こうかなどと思いながら疲れた体に気合を入れなおして下城した。 


2.秀吉の水攻め「備中高松城」

二日目は、平地に築かれた「備中高松城」以下高松城)を訪れた。ここは、1582年(天正10)に織田信長の中国攻めの先鋒を務めた羽柴秀吉が激しく抵抗するのを水攻めにしたことで有名である。桃太郎線の備中高松駅から歩いて15分ほどで到着するが、田園地帯の中に作られた公園のようだったので、あれっ! と拍子抜けする(写真 上右)。しかし、資料館で1985年に当地に大雨が降った時の写真が展示されているのを見ると、まさに水上の孤城になっているのがわかった。やはり現地を訪ねてみると認識が新たになる。

 

一回りして、さて水攻めの時に築いた堤の跡でも見に向かおうとしていたところに「よかったらそこまで車で案内してあげるよ」という声がかかった。みれば先ほどの資料館にいたガイドの男性である。もちろん断る手はないので甘えさせていただいた。私が歴史好きに見えたのでそういう人には声をかけて案内しているのだということだった。そう思われたなら大変光栄なことだ。名刺を拝見したところ地元の歴史研究会に沢山所属している。自分の調べたことを分かってもらえる人に伝えるのが楽しくて仕方がないという様子だった。目的としていた堤の他、2カ所案内していただき更に最寄りの駅まで送ってくれた。ああ、もっと案内して欲しかったなあと思いつつお別れした。人の親切が心にしみた旅となった。